映画関わる暴力
そして、それを認めてくれた。教師からはもっと集体精神を身につけることが望ましいと言われていたけれど、父は、べたべたともたれあって生きる姿勢は破滅に行きつく危険性があると言って、私の生き方を支持してくれた。父の支持に勇気づけられて、私は精神的物理的なプライバシーを守ることができた。中国には、そもそもプライバシーということばさえ、存在しない。しかし、プライバシーを本能的に求めている人聞は、当時でも少なくなかったと思う。私のきょうだいも、みな私と同じ感覚だった。たとえば影脈などは我が道を行く方針をあまりに強硬に主張したので、よく知らない人からは人間ぎらいと思われていた。素顔の京明は愉快な人間で、仲間うちでは絶大な人気があった。母さんがおまえたちを自由放牧の方針で育てたのは、じつに英断だったと思うと、父はよく私たちに言った。父と母は、私たちの生き方にいたずらに介入することなく、それぞれの子供の独自の世界を尊重して見守ってくれた。14父よりも母よりも、毛主席が好きです毛沢東崇多貌犠貌不か毛主席貌毛主席私たちはいつも毛沢東のことをこう呼んでいた)が私の生活に直接影をおよぼすようになったのは、14年、私が12歳のときだった。