週間などを共産軍
クオンシユン党は母に控制使用、すなわち監視下の1雇用という不名誉なレッテルをつけた。これは公表されなかったが、本人である母と審査を担当した人々には知らされていた。今回いっしょに固有化作業を進めることになった工作組の仲間は、母が半年間拘束されていたことは知っていたが、今なお監視下にあることは知らなかった。隔離審査に付されると決まったとき、母は祖母に手紙を書いて、しばらく満州のほうにいてくれるよう頼んだ。理由は、適当にでっちあげた。自分が拘束されていると知れば母親がどんなに心配するか、わかっていたからだ。チンチョウ国有化計画が始まったとき錦州にいた祖母は、国有化手続きのために、もうしばらく足どめシヤされることになった。夏先生と祖母が1951年に錦州を離れたあと、先生の薬局は彬がひきついでいた。夏先生が1952年に亡くなると、薬局の所有権は祖母に移った。それを、こんどは国が買い上げるわけだ。それぞれの職種について、工作組と雇用者代表と被用者代表の3者が話しあって適正価格を決めるのだが、当局の歓心を引くために、適正価格は非常に低く設定されるのがふつうだつた。夏先生の薬局につけられた値段も、馬鹿らしくなるくらい安かった。